原点
2015年 07月 05日
そのカズに関する記事で、ハッとしたものがあった。
障がい児の暮らす施設に定期的に訪問し、障がい児と一緒にサッカーを楽しむということをカズがやっていたという記事。
帰り際に「今日もみんなありがとー!」とみんなに手を振っていたところに、記者が質問をしたそうな。
「こういう施設にきて子どもたちとサッカーをしてあげているというのはやはり好感度とか人気取りなんでしょうか?」
それに対してカズは次のように答えたらしい。
「ぼくが彼らに何かをしてあげてるって?逆にぼくが何かをもらっているようには見えなかったかい?」
ちょうど10年前、ぼくはみどりぐみをはじめた。
知的障害者の生活施設での口腔ケアボランティア。
月一回だけの訪問を、9年ほど続けた。
102回で、みどりぐみの活動は終了。
10年続けるつもりだったけれど、10周年は迎えることができなかった。
少しだけ、悔いが残っている。
みどりぐみの活動をさせてもらって、行くたびに感じていたことが、カズの言葉にある。
口腔ケアをさせてもらって、ぼくたちは彼らからいつも「何か」をもらっていた。
その「何か」は、勇気だったかもしれないし、激励だったかもしれないし、やさしさだったかもしれない。
ぼくはみどりぐみを通じて、多くのことを学んだ。
ボランティアに対する自分のスタンスを確固たるものにすることができた。
金銭の報酬を受け取ってする仕事と、無償で行うボランティアは、ぼくにとっては、根本的に違う。
職業ボランティアなので、ある程度はボランティアで行っている行為の対価というものは、わかる。
保険点数に換算すると、こうなる、というのがはっきりしているから。
だからこそ、同じ行為でも、仕事でやっているのとボランティアでやっているのとでは、自分にとっての意味が全然違ったものになるのかもしれない。
ぼくがその施設でのボランティアをやめることになったのは、別の歯科医が協力医として施設に関わることになったから。
ぼくは口腔ケアボランティアだったので、治療が必要だと判断すると、看護師さんに医療機関受診を促すというスタイルだった。
わざわざ遠方なのにうちの診療所まで連れてきて下さっていたこともある。
施設長が替わり、開設時にぼくの協力を受け入れて下さった看護師さんが移動になった。
そして、次にやってきた施設長さんの知人である歯科医の先生にバトンを渡すかたちになった。
といってもボランティアのバトンではない。
残念ながら、その後の施設のことは、ぼくにはわからない。
そこの法人にとって過渡期だったようで、ずいぶんと内部の様相は変わったと風の噂で聞いた。
利用者さんたちにとってよりよくなれば、いいなと思う。
いずれにしても、ぼくはそこでの活動はボランティアにこだわったし、参加してくれるメンバーにもそこのところは理解してもらって、来てもらったつもりだ。
参加できる時に、自らの意志で、みんな交通費も自分持ちで、自分の休日の貴重な時間を使って来てくれた。
なので、ボランティアだからこそ得られる清々しい体験をしてもらえたと信じている。
してあげてるんじゃなくて、させてもらって、お金じゃない、別の何かを、いただいてた。
取るに足らない些細なことで悩む自分を励ましてもらった。
なんてちっぽけな人間なんだと感じさせてもらった。
そして、生きる勇気をもらった。
彼らは、本当に多くのものを、与えてくれた。
大げさに言えば、人として大切なことを、教えてくれた。
そういうのが、ぼくのボランティアに対する感覚になった。
みどりぐみをはじめて数ヶ月で、カンボジア歯ブラシ運動に出会った。
カンボジアに行って、そこでいかに自分が恵まれているかということを知った。
笑顔に元気をもらった。
9年間続けたみどりぐみが終わる頃、カンボジアと再会した。
その9年間の間に、勤務医から開業医になり、30代から40代になった。
スロラニュプロジェクトに参加して、仲間とともに継続して村の障がい者や孤児に対するボランティア活動をするチャンスをいただいた。
小学校でバレーボールクラブの立ち上げに関わったり、PTAの手伝いをしたり、そういう活動に一歩踏み出せたのも、みどりぐみをはじめたことで自分の中で何かが変わったからだと思う。
情けは人のためならず。
誰かのためというよりも、自分のためにやってることなので、偉そうなことは何にも言えないんだけれど。
授業料を払ってでも、したいこと。
授業料として納める正会員の会費は寄付になるから、勘違いしそうになるけどね。
自分への投資だな。
してあげてるんじゃなく、させてもらってること。
誰かが喜んでくれたら、自分がうれしい。
そういう当たり前のことを、再確認させてもらってるだけ。
自分の存在を認めてもらえた気がするのかもしれない。
そもそも仕事って、そうなんだよね。
人の役に立つことをするのが、仕事。
役に立ってはじめてお金がもらえる。
ただ、お金が絡むと、どうしてもお金が邪魔をする。
お金のために、という思いがちらつく。
モチベーションにはなるけれど。
仕事もそこそこやって、認めてもらって、それなりの報酬をいただいて、家族が生活できた上に、こうした活動ができるって、なんて幸せなんだろう。
でもそんなふうに思えるようになったは、30代後半になってから。
だから、若いのにボランティア活動をしっかりやってる人は、すごいなあと思う。
たいしたもんだ。
ここがぼくにとっての原点だってことを、忘れないようにしたい。
与えてもらってるってこと。
とても大切なことだから、こうして書いて、残しておこうって、思った。
by srolanh
| 2015-07-05 02:11
| 思い・考え